2006年 07月 23日

経歴編

今日は、久々自己紹介として、ざっとS.H.の経歴を書いてみようと思う。
書きながら、一体どんなことを思い出すのだろうかっ・・・・

小学生時代
地元の小学校に通う
・6年生の時、生徒会長をする。運動会やプール開きの時、全校生徒の前で演説。
思えば、この時に人前でスピーチできる(話せる)力が付いた気がする
・6年生お別れ会で、なぜか女装させられる。なぜだ?

中学校・高校時代
おかんが半教育ママ(それ程過激じゃないけど)で、俗に言う`お受験`で都内私立中学に入学。中高一貫教育の進学校です。

思えばここが、S.H.の暗黒時代の始まり。
中学高校六年間で成績は下3分の1で低空飛行を続ける。
ばつが悪いことに、この学校の教師どもは、勉強できる生徒=いい生徒、いい大学へ行く生徒=素晴らしい卒業生的な考えがあり、自分は誰にも相手にされなかった感じだ。
また、周りの生徒達も、S.H.が
「何で、W大学にいきたいの?」と聞いたところ、
「有名だからさ!W大学だったら学部は何処でもいいのさ!」のような返事が返ってくる連中だった。

中1~高2 
・考古学部に在籍(最高学年のときは部の会計を勤める)
ここで、J.Gと出会う。
部活はまあまあ楽しかった。
今でもたまに同期と会う。
部活の仲間はみんな「あの頃(中高時代)は楽しかったよな~、一番楽しかった!」と今でも言うが、
S.H.「オレは大学、その後のアメリカ生活、そして今のほうがはるかに楽しい!」

高校時代、夜ゲームセンターへ行き、2時間の内にタバコを10本吸うなんて日もあった。
吐き気がするくらいタバコを吸いまくっていた。

高校3年
皆が大学受験のため猛勉強していたが、自分には目標が無かったので、サッカーW杯初出場をかけた1997年のアジア地区最終予選の日本代表の応援に熱を入れる。
自分独自のスタメンを考えるため、毎朝新聞を買い情報収集していた。

11月、ついにW杯出場決定!
自分の応援でW杯に行けたんだ~!なんて思う。

目標が無くなる。
その頃、後に自分が行く大学の学科が新設されたことを、母親が新聞記事で知る。
生きる気力を失っている僕に勧めてくれた。

プロジェクトマネジメント学科!!??

そのかっこいいネーミングに度肝を抜かれ、さらにどんなことを勉強するのか調べてみると・・・楽しそうだ!
さらに偏差値を調べてみると50位・・・
自分の学力でもなんとか行けそうなのでは?思う。
初めて、「大学へ行ってみようかなぁ」と思い出す。

学校の勉強に遅れないために、高校2年から通っていた塾の先生の丁寧な指導もあり、
見事現役合格!
進学する。

日本経済の失われた10年とよく言うが、S.H.の失われた6年が終わる。

ただ一方で、成績が悪くても上げる努力をしない、学校がつまらなかったら自分で学外で何か活動をする、もしくは学内でも何かに積極的に関わるなど、行動を起こすことをしなかった。
結局は、自分で招いた事態であり、これは全て自分の責任である。

ただひとつ言わせて頂くと、保守的な校風は自分には合わなかった。

大学時代(1998~2002)
・サッカーサークルを作る。1年で潰れる
・音楽サークルに加入。2年間で5つのバンドをやる(中には、2度の練習で潰れたのもあった。)

・4年間で3度、短期留学をする
L.A.2回 Seattle1回
バイトで稼いだ金は、ほとんどこれで消えていった。
楽しかったな。

大学3年
自分が将来何をしたいのか分らなくなる。
みなが就職活動を始める頃、大学院進学を決断(ただ、これが後に致命的な選択となる)。両親も了解してくれた。

大学4年
・学外のバンドに加入
CD制作・ライブ多数
・卒業論文タイトル「企業における安全文化の確立を目指して」
事例として、東海村臨界事故、アメリカミルストン原子力発電所、雪印乳業食中毒事故、三菱自動車リコールクレーム隠し事件を調べる。
・企業との共同研究で、某電力会社向けに、教育ゲーム(経営ソリューションゲーム)の作成に着手する

大学院時代(2002.4~)
研究生活突入。研究室にこもりっきりの生活に絶望する。入学2週間後、このままでは自分の長所が生かされないと思い、就職活動を突如始める。
(ほんとの就職活動ではなく、将来自分にはどんな業界があっているのかなぁと思い、専門商社、旅行代理店など回る)

・金持ち父さん・貧乏父さんを読む
「人はなぜ、自分が得意だと思うこと、伸ばせるのではないかと思うことに挑戦しないのだろうか。チャンスがあるのに、躊躇してしまう人が多すぎる!何事もやってみるべきだ」
確かロバート・サカザキのこんな感じの一言で、自分は留学するんだ!と決心する。
確か、総武線快速に乗っていて、決意した。

・自分が書いた卒業論文が海外での学会発表を許される
自分にとって、これが日本の学生時代、最後のプロジェクトとなる。
イタリアはシチリア島で開かれた学会でプレゼンテーション
3年間在籍した研究室で、初めて担当教授に「S.H.君、良く出来たね!」とほめられる。ほんと~に嬉しかった!

この頃、塾講師のアルバイトをしていたが、自分が担当した生徒2人が第一志望に合格する。教えることに楽しさを覚える。

シアトルへ留学(2003.4~ 2004.3)
・日本を離れて2週間後、父が他界する
・米系印刷会社でインターン

シアトルで就職(2004.7~ 2005.12)
・正社員として営業・マーケティング部で働き始める
・South American Music Band、Samayのサポートをつとめる
・日本の大学院を退学する
・CPAの勉強を始める(2004.8)

日本帰国(2006.2~2006.07)
・無職生活
・2月に受けたFARに合格する。
勉強ONLYの悶々とした生活を送る。
4月中、精神的に辛い状態が続く。勉強が全く手に付かなくなる。
・REGに落ちる。
・貯金が底を尽きる。

母親に助けてもらいながら生きる。(←まさに、考えが甘く精神が腐りきっている)

・Best FriendのJ.Gが結婚する。
結婚式での祝辞を任される。
大成功!
S.H.の結婚式(←い・・・いつになるんだ。。。)は、J.Gに祝辞を述べてもらおうと思い、約束する。

一刻も早く、この精神が腐りきった生活から抜け出すために、自分のことは自分でやるために、就職活動を始める。

就職決定(2006.7.20~)
これからも、自分の選択に責任を持って、自分の人生を描いていきます。
初出社はいつかな~?ドキドキわくわくです!

*今まで関わったバイト
マクドナルド店員、ゲームセンター店員、工事現場作業員、試験監督、家庭教師、塾講師、銀行のテレホンオペレータ

タバコ止める


う・・・とても冗長で読みづらくなってしまった。
読んでくださった方、ありがとうございました。
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by sh-cpa | 2006-07-23 23:46 | 自己紹介


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